果て無き空と存続の立証│目指せ、金メダルっ!

「今日はバレンタインということでチョコを作ってみたのですが……刹那、お一ついかがですか?《
「…………………………え、………と……………《
 可愛らしく小首を傾げて、淡い茶色の髪を揺らして、可憐に微笑んだアリアの前には、珍しく顔を青くした刹那がいた。二の句が継げない彼の視線は、にこやかな少女のその手に持つものに注がれている。
 いつもは元気いっぱいで休みない刹那が絶句している原因は、差し出されたその"チョコ"にあった。
 今日は2月14日、バレンタインデー。この日に女の子からチョコを貰えたらそれはそれは喜ばしく、ましてやお菓子が好きな刹那ならなおのこと。飛び跳ね回って満面の笑みで万歳したとしてもおかしくないくらいだ。
 しかし、出来なかった。この"チョコ"を目の前にして、一瞬芽生えた喜びは即座に消滅してしまった。
 最初は、綺麗な包装が目に入った。淡いピンクの包装紙と、少し濃いめのピンクのリボンで彩られてかわいくなった四角い箱。内側には細かい紙が敷き詰められている。ここまではいい。だけど。
 あの、中央に鎮座した物体は、何だ。
 焦げ茶の塊だ。所々緑やら紫やら橙やらが混じって、何ともいえない上気味な反転模様になっている。随所から何かの破片とか塊とかが突き出ていて、何が入っているのか考えたくない。何だかうねうねと触手のようにうねっているのは目の錯覚だろうか。ついでに「ギョエッ《だの「キュピョッ《だのよく判らない奇声が聞こえてくるのも空耳だと思いたい。漂う悪臭も鼻が勘違いしているだけ。あと何か振れてはいけない感じのオーラを放っているのも気のせい。たぶん。
 とにかく、これが"チョコ"であるはずがない。絶対に。だってこんなの、チョコって言わないはず。
 流石の刹那もこれが"チョコ"だとは思えなくて、硬直していた口をぎこちなく、やっとの思いで動かした。
「ね、アリア。これ……何?《
 語尾が弾む元気すらなくした刹那に、微笑みをたたえたアリアは、鈴のような声でこう告げた。
「チョコですわ《
 続いた言葉は、何を当たり前のことを言っているのです?
 その一言で、小さな少年は凍りついた。
 チョコですわ。先程の台詞が脳内で自動リピートする。チョコですわ。え、どれが。チョコですわ。もしかして、これが。チョコですわ。もしかしなくても。
 この、謎の生命体。これが、"チョコ"……ですわ。
 刹那の小さな脳みそは、今度こそ完全に思考停止した。
 チョコ。これがチョコ。この何かうぞうぞしちゃったものがチョコなんだーへーわぁ新発見。
 はいどうぞ、とアリアがチョコを押し付けた、もとい手渡しても、刹那が動くことはなかった。箱を両手にのせられたまま、微動だにしない。
 微笑するアリアと、石像化した刹那。
 そんな彼等のやりとりを部屋の隅で見ていたユーヤは、読んでいた本を閉じて静かに立ち上がった。そそそっと移動して、アリアの傍らに立つ。
「あの、アリア《
 耳打ちするように小さい声は、どことなく上安げ。
「その、何と言いますか……あのチョコレートは、流石に、えぇと……食べれないと、思います《
 恐る恐る提言したユーヤの視線は、佇む刹那を哀れそうに見ていた。
 いくら何でも、ブラックホールの胃袋を持つ大食らいの刹那でも、食べられないものくらいある。そしてユーヤが見るに、アリアの作った"チョコ"は、その食べられない部類に属している。間違いなく。
 というよりあれを食べて平気な生き物が存在するんでしょうかねなんて思っちゃったユーヤは、
「あら、そのくらい判ってますわよ《
 さも当然と言ったように口にされた言葉と、
「ですけど……《
 それに続いた発言に、
「あれを渡して刹那がどんな反応をするのか、見てみたいじゃないですか《
 ──沈黙せざるをえなかった。
 花のような笑顔が、一瞬にして小悪魔の笑みにしか見えなくなる。
 口元に手を当ててころころと楽しそうに笑うアリアは満面の笑みで。
 ユーヤはもう、何も言わなかった。
 ──後日、テンディスカル邸では空になった件の"チョコ"の箱と、死にかけた刹那が発見されたという。





  ―END―